民泊の起こりと問題点2〜教育旅行による拡がり〜

伊江の民泊の始まり

年間170校、述べ宿泊者数30,000人を超える修学旅行の受け入れをおこなっている沖縄の伊江島はどのような経緯で民泊を始めたのだろう。

そこにはもちろん「村おこし」という目的があったのだが、それだけではない。

この伊江島には高校以上の学校が存在しないため、小中学校を卒業すると島の子供たちは、沖縄本島に下宿に出てしまう。したがって、若い世代がどんどんと島からいなくなり、高齢化していくという問題を抱えていたのである。

そういった理由から、純粋に子供達と触れ合うことの楽しさを求めてこの民泊は広がりを見せていく。
子供たちが使っていた空き部屋がすでにあり、高齢化していく島のおじい・おばあが子供達と触れ合い元気をもらう、また、一度島に来た子供達が、将来再び島に訪れるリピーターにつながり、移住定住のきっかけともなる。といった一石四鳥の効果を島に生み出し、2003年の発足時には3校、300名の受け入れにすぎなかったそれが、学校側が認める高い教育効果とも相まって、多くの学校が訪れ、島の一大産業へと繋がっていくのである。

民泊のがりと問題

2008年、農林水産省と文部科学省、総務省の連携事業として「農山漁村交流プロジェクト」が、子供たちの自立心や、思いやりの心、規範意識を育み、力強い成長を支える教育活動として、農山漁村での宿泊体験を推進することを目的として始まった。

これは、宿泊をする家の人と子供たちが、人間的な交流・触れ合いを持てる少人数での宿泊形態をイメージして文部科学省が発信をしたため、十数人以上が一箇所の施設に泊まる集団宿泊とは一線を画したプロジェクトであった。

これによりこれまでの民宿泊ではなく、民泊が広がりを見せていくのだが、当時の民泊(民家)は「民家体験泊」と呼ばれ、営業許可を取ることなく体験という位置付けでおこなっていたのである。

これに対して、ある都道府県では、営業許可を取っていないにもかかわらず金銭を受け取り宿泊をさせたということで、保健所から指導が入った。役場も関係して公的に受け入れをおこなったわけなので、国の指導に従ったまでと主張をするも、保健所からは、国といっても旅館業法や食品衛生法を所管する厚生労働省は当該プロジェクトには入っていないという回答で、結局認められなかったのである。

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